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「福栄小学校 編」

第1回 5月30日(土曜日)やまざと号映画上映 (終了)

やまざと号は,鹿児島県の串木野を走っていました.国鉄藤井総裁が福栄出身であったことでやまざと号C11が寄贈されました.現在の三本松駅に到着して,巨大トレーラーで運ばれてくるのですが,駅の線路から駅前に一度移動させて,夜中を徹して朝の5時に小学校に到着します.

駅から駅前広場に移動させるのにも,多くの人々がすれすれの隙間を通して巨大鉄の塊を動かしており,道路も昔の道と何個もある橋の強度を保つために,つっかえ棒と鉄板を敷き詰めて移動させていました.

学校では,近所の人々が集まり,たばこを吹かしながら大人たちも眺めています.

8時頃には子どもたちもどろんこ小山の上から機関車をのぞき見して,鉄道マニアがビデオデッキ(たぶん8ミリカメラ)をもって内部撮影をしていました.婦人会の人々,当時の学校の先生が映るたびに,参加者の人々から,XX先生と声が漏れるのはうれしいものでした.

清川が5年生のときでしたので,PTAのお母さん方々も85歳を過ぎた人ばかりで,すでになくなられた方がおりましたが,久しぶりに顔を拝見して懐かしく思われたと思います.

次回は7月12日【日曜日】です.桑島妙子先生が集めていらっしゃる1刊からの「あゆみ」を準備して,小学校を振り返る企画です.生徒のみならず,先生や保護者が書いているところもあり,戦後の現在や未来を案じる文章,その当時の子どもたちのあどけない日常が,まるで ”詩” を読んでいるかのような,すがすがしい文章が残されています.

ぜひ,お誘い合わせの上,ご参加ください.

また,古い写真がありましたら,お家で整理する前に一度持ち寄っていただけると幸いです.どのくらい昔の小学校が復元できるか楽しみです.いろいろ探しておりますが,なかなか古い写真は残っていないので.

小学校北側の校舎 手前の2部屋は,多分1年生と2年生の教室だった.今の61歳以上の方はこの校舎にて学んだはずです.

昔の講堂(現在の体育館があったところ)学芸会などが行われていた.

あゆみは、膨大な当時の情報が書かれており、歴史の本流から知られていない末端部での人々の生活や子どもたちの活気ある行き方、先生方や親御さんの子育てなどが書かれています。情報が多くて、精査するのに時間がかかりますが、3回目は、とりあえず校長先生のあゆみにむけての言葉を選んで、みなさんと聞きました。

あゆみは、1955年から第40号ぐらいまで残されています。とても全部を1時間では処理しきれません。内容をかいつまんで懐かしんでいただいています。

福栄地区は、田舎ですが、当時は星組と月組2クラスあったようでして、びっくりするのは、あゆみを保存してくれていた、桑島妙子先生現在96才、は福栄小学校で18才から教員を務めており、そのうちの数年のみ白鳥小学校に行ったほかは、ずーっと福栄小学校で低学年の教員をされていました。なので、私や母親も含めて、今回の会にご参加されている方の6−7割は桑島先生に教わっているということが判明しました。田舎での教育ならではの、非常に珍しいことだと感じております。

次回は、実際に人の言葉で朗読をして、70年前の子どもたちの生活や当時の世相を読み取ってみたいと思います。

また、福栄小学校の変遷史も、興味深く、昭和初期には建物が3列並んでいたという情報も明らかになり、それらを図で復元していく予定です。写真などが限られている時代で、人々の記憶から、どのくらい復元できるか楽しみです。

今回の宝物は、昔の携帯用墨、ガラスペン、一休さんの鉛筆削り (黒田さん提供)

家の古い箱から、でてきた教科書類。当時使っていた下敷きなど。。家をたたむときにそのまま捨てられそうな歴史の痕跡は、丁寧に残しておきたいところです。(100年ぐらいまえのものは、歴史民俗博物館とかに大量に保存されているようで、置き場がない、とのことですが、やはり自分たちの家から出てくる遺品は、先祖の声がきこえるようで、なんともいえない気持ちになります。)

阿部さんがもってきた古い教科書の中には、ブリキでできた東郷平八郎が描かれた下敷きがありました。日露戦争の時のものを描いたようで、昭和初期のものでしょうか。

歴史掘り起こし、少しずつ掘り起こされている感じがします。ぜひ皆様のご参加をお待ちしております。

昨年の白鳥温泉の会から、楽しみにしてくださっている人々が、いろいろ見つけてきていただいています。福栄以外の方々も、昔を思い出して個々の人々の歴史を復元されています。

今年は10月、11月ですが、ぜひご参加いただけたらと思います。